おカネの本当のこと

某銀行のテレビCMで、

金融 = 「おカネの本当のこと」

という一節が流れていました。

「おカネとは?」

「おカネの仕組みは誰がつくったの?」

そんな素朴な質問にきちんと答えられる大人が一体どれだけいるでしょうか。

おカネの価値

ある有名中学校の入試(2012年)で、おカネを題材とする出題がありました。

そこでは、おカネの歴史を辿った問題文とともに、次のような設問が用意されていました。

世の中には、人々の思い込みにもとづいて成り立っているようなことがらが多くあります。
(1)具体例を1つあげ、それについて人々の思い込みがどのようなものか、説明しなさい。
(2)(1)の具体例について、人々の思い込みがなくなったとき、私たちの生活はどのように変化するのでしょうか。

出典:https://www.inter-edu.com/nyushi/2012/azabu/soc/

人々の思い込み、つまり、「価値の源泉が信用であり、その信用によって信用が維持される」というのは、何とも不思議な気がします。

個人的な感想ですが、おカネというのは、物凄い発明だったように思います。

多分、文字や武器と同じくらい凄い発明だったのではないでしょうか。

価値を温存できるシステムをつくったのは、動物の中でも人間だけでしょう。

おカネの本当のこと

「おカネの本当のこと」を考えるとき、まず注目すべきは、ブレトンウッズ体制だと思います。

ブレトンウッズ体制

米国と欧州の大国が主導して、1944年に発足した通貨体制。金との交換が保証された米ドルを基軸として、各国の通貨の価値を決める固定相場制度。国際通貨基金(IMF)と世銀は、ドルの力で世界経済の安定や途上国開発を担う組織として活動。71年に金ドル交換は停止されブレトンウッズ体制そのものは終わりを迎えたが、ドルは基軸通貨としての地位を維持し、世界経済での米国の優位性を支えてきた。
(2012-09-19 朝日新聞 朝刊 2外報)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

戦後、ブレトンウッズ体制によってドルを基軸通貨とした通貨体制が出来上がります。そこでは、金とドルとの交換が約束されていました。しかし、1971年、その約束は見事に反故にされてしまいます。それが、次のニクソン・ショックです。

ニクソン・ショック

ニクソン大統領が1971年8月15日に、テレビとラジオで全米に向けて、新経済政策(減税と歳出削減、雇用促進策、価格政策の発動、金ドル交換停止、10%の輸入課徴金の導入)を電撃的に発表し、その中の「金ドル交換停止(金とドルとの固定比率での交換停止)」のことを主に指します。

ニクソン・ショックから2年後の1973年、日本を含むほとんどの国が通貨の変動相場制へと移行することになります。

円切り上げ

円のレート改定会議は最後に行われ、あまり時間も用意されていなかったようです。360円から308円へ切り上げることが提案され、あまりに大きな引き上げ率だったため、水田三喜男大蔵大臣を中心とした日本使節団が思案している間に提案は決済されてしまいました。

プラザ合意

1985年9月22日、過度なドル高の是正のために米国の呼びかけで、米国ニューヨークのプラザホテルに先進国5カ国(日・米・英・独・仏=G5)の大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が集まり、会議が開催された。

日本大百科全書(ニッポニカ)では、こうした一連の流れが以下のようにまとめられています。

ニクソン・ショック

アメリカ第37代大統領リチャード・ニクソンが1971年8月15日に発表した金とアメリカ・ドルの兌換(だかん)停止宣言のこと。西側主要国だけでなく、アメリカ議会にも通告なしに電撃的に発表し、その後の世界経済や国際通貨体制が混乱したため、後にニクソン・ショック、あるいはドル・ショックとよばれるようになった。
アメリカは第二次世界大戦後、世界の7割の金を保有し、1944年以来のブレトン・ウッズ体制(アメリカ・ドルを機軸とする金本位制)では、金1トロイオンス(31.10グラム)が35アメリカ・ドルで交換できた。いつでも金と交換できることを信認の裏づけとするアメリカ・ドルは、各国通貨と固定相場で交換される世界の基軸通貨となっていた。しかし1960年代に入り、ベトナム戦争などの軍事費膨張やアメリカ多国籍企業の海外投資拡大で、膨大なアメリカ・ドルが海外へ流出し続けた。アメリカ経済は国際収支の赤字と財政収支の赤字を抱える一方、金保有量は激減し、金とドルを交換できない状況に近づき、アメリカ・ドルの信認は揺らいだ。このためニクソンは防衛策として、1971年8月15日にテレビとラジオで演説し、(1)アメリカ・ドルと金の兌換停止、(2)10%の輸入課徴金導入、(3)物価・賃金の90日間の凍結、(4)設備投資免税の実施、(5)7%の乗用車消費税の撤廃、(6)所得税減税の1年繰上げ実施、(7)47億ドルの歳出削減、の7項目からなる新経済政策を発表。このうち(1)の金兌換停止が世界経済や国際通貨体制にもっとも深刻な影響を与えた。その後、主要10か国は1971年12月にドルの切下げを容認し、スミソニアン協定を結んでいったん固定相場制への復帰を試みたが失敗し、2年後の1973年にほとんどの国が通貨の変動相場制へ移行した。ブレトン・ウッズ体制で1ドル360円に固定されていた日本円は、スミソニアン体制で1ドル308円に切り上げられ、1973年2月には変動相場制へ移行。その後、石油危機時などで1ドル300円台まで下落したことはあるものの、長期的な円高傾向が定着している。
なお、長期化したベトナム戦争解決のため、ニクソンが中国を訪問すると1971年7月15日に極秘・電撃的に発表し、その後中国政府と和解交渉した一連の米中外交の動きも「ニクソン・ショック」とよばれる。当時、日本は台湾と国交関係があり、国連代表問題でも台湾を支持していただけに、頭越しの米中秘密交渉は日本の外交に衝撃を与えた。[矢野 武]

出典: 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

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